影街道

影街道③ 武田信玄は「偶然」動いたのか

信長包囲網と武田信玄の西上作戦は本当に偶然が重なっただけなのか。織田領・徳川領の内部に情報を通した人物がいたとすれば、すべてが自然に繋がってくる。
影街道

影街道② 信長の真の敵

信長包囲網は偶然の連鎖ではなかった。阿波の一地方勢力がなぜ天下を揺るがせたのか。姿の見えない敵・三好家と影街道の関係から、信長が本当に戦い続けた相手を読み解く。
影街道

影街道① 伊勢・名張・吉野、そして四国へ――「影街道」の発見

地形図を眺めていて気づいた。伊勢から名張、吉野を経て四国・三好市へ続く道がある。表の街道ではなく、記録に残らない、しかし確実に使われていた道。私はこれを「影街道」と呼ぶ。
天正伊賀の乱

天正伊賀の乱⑪ そして浮かび上がった「次の問い」

11回の考察が一つの結論に辿り着く。伊賀は織田軍に敗北していない。では本能寺の変の動機は復讐ではない。信長の本当の敵とは何だったのか。次シリーズ「影街道」へ。
天正伊賀の乱

天正伊賀の乱⑩ 最強・名張忍者――織田軍を翻弄した者たち

信長は戦後、敢国神社近くで食事を楽しんでいた。大虐殺の直後にそれはあり得ない。名張忍者が織田軍を袋の鼠にし、政治的講和を勝ち取ったという視点から第二次の実像を読み解く。
天正伊賀の乱

天正伊賀の乱⑨ 織田軍はなぜ、簡単に伊賀に入れたのか

天然の要塞・伊賀になぜ織田の大軍があっさり侵入できたのか。信長公記が示す侵入ルートと、北部伊賀の動向から見えてくる第二次天正伊賀の乱の本当の狙いを考察する。
天正伊賀の乱

天正伊賀の乱⑧ 第二次の犠牲者は、本当に三万人だったのか

信長公記は伊賀の虐殺をほとんど語らない。長島は今やレジャーランドになったのに、伊賀には忍者文化が残り続けている。三万人犠牲説の矛盾を伊賀在住者の視点で読み解く。
天正伊賀の乱

天正伊賀の乱⑦ 信雄は本当に”独断”だったのか

八千人の軍勢を信長に隠して動かし、大敗しても叱責だけで済む。この通説には無理がある。信雄を「冴えない人物」と片付けてはいけない理由と、第一次の真の構図を考察。
天正伊賀の乱

天正伊賀の乱⑥ 第一次の前哨戦――丸山城の攻防

伊賀の中心部に密かに城を築くことは不可能だ。伊賀在住者として断言できる。丸山城破壊の実行者は名張忍者であり、第一次天正伊賀の乱は「名張対織田」の戦いだった。
天正伊賀の乱

天正伊賀の乱⑤ 信長の伊勢侵攻と、北畠家の最期

信長はなぜ北畠家を養子だけでなく、徹底的に粛清したのか。北畠粛清の直後に第一次天正伊賀の乱が起きたのは偶然ではない。伊勢と伊賀をつなぐ一本の線を追う。